最近遅ればせながら『へルタースケルター』を読みまして。
映画化もされた非常に話題作ですので、もちろん内容は知ってました。
ので「予告編のまんまだなー」という感想でした。面白かったのですが。
ただ、どうしても気になって。
よくある「社会的地位が突き抜けた人が倒錯の性の世界にはまる」って設定
なんでしょうかね? あれ。
実際、お金持ちになるとそうなっちゃうものなんでしょうか?
っていうか、お金持ちにならないと性にはまれないんですか? それって人間としてどうなの? って気もします。
作品の成立として「社会的地位と裸」というギャップは描きやすいのでしょうか?
わたしはげんなりしちゃうけど。「ああー、このパターンか」って。
古いけど島耕作の大町さんのお母さんなんかもかなりくだらないなーって思ってしまったよね。
経済界牛耳って上り詰めてやってることは乱交パーティーかよ!ってね。
薄っぺらさを感じてしまうけど、人って所詮そんなものなの?
大町母さんのご乱交は以下でどうぞ。
『へルタースケルター』の面白さは、街の人々の反応だと思う。テレビを見てキャーキャー反応している「一般人」の軽薄さとか、したたかさとか。
そういうものをとても秀逸に書き出していたのは『お天気お姉さん』だったと思う。古いけど。
お天気お姉さんの桂子もかなりの虚像だけど、不安の突き抜け方がりりこより気持ちいい。おセンチにバラード聴いてないで、軍歌を聞く女に私もなりたい。
性描写については似たり寄ったりだけど、明らかに違うのは、男性作者らしく、桂子が男性からとても卑しい目で見られるシーンがままあることかな。
「セックスして怖いほどかっこいい私」では済まされることがない、あくまでも平等。
美しく上り詰めて、みんなの手の届かないところまで行って、だからとっても孤独で、不安で、いつ堕ちるのかいつもおびえていて、だからとっても綺麗で、その不安をかき消すように退廃的なセックスに溺れていく、って設定もう飽きたよ!!
個人的には底辺の人々のセックス模様の方がグッとくるなあ。これは個人的嗜好ですしょうか?あまり大声で言わないようにしておきます。
もちろん『へルタースケルター』には美への執着や人間の弱さなど、感じ入ることのできるテーマがたくさん盛り込まれていました。が、私はセックスシーンで「ふーん」となてしまいました。残念。
底辺でグッとくる例↓